この世には「ままならないこと」が多すぎる。
それは僕がどんなことをしても、絶対に覆すことができないもの。
だから僕らはその隙間を縫うように歩く。
いつかそのことが笑い話として話せるくらいに遠くまで。
行き着く先は見えない。月明かりすら見当たらない。
孤独で、独りよがりで、残酷なこと。
そんなときに思い出すのは、いつだって彼の言葉だ。
「お前が居ればそれでいい」
そういって君は僕を抱きしめたから、僕は酷く安心したのだった。
「ままならないこと」が全て消えたような気になった。
けれど、現実はそう甘くはない。
「ままならないこと」は時間と共にふくらんでいって僕を圧迫する。
息さえ出来ないほどの重圧に僕は耐え切れなくなる。
君の声さえ聞こえないほど、僕は闇に沈んでいく。
「助けて」
僕の声は君に届いたのだろうか。
メロウに沈んで
身の程知らずの恋だと知っていた。祝福されない恋だとも。
それでも僕らは出会ってしまった。
きっとどんな道を辿ろうとも、二人が出会うことは必然だった。
それなのに世界は暗転する。
二人を引き裂こうとする何者かの手によって、僕らは別々の道を歩む。
それだけならまだ予想の範囲だった。昔から考えてきたことだった。
眠れない夜は続き、そのたびに僕は彼を思った。
彼のことを考えれば、他は何もいらなかった。
それなのに。
僕を愛したせいで彼が汚れていくことが、悔しくて仕方が無かった。
息も出来ないほど、僕は酷く動揺した。
自分が彼にできることはなんだろうか。ずっとずっと考えた。
そして、一つの答えを導き出す。
それは僕が一番恐れていたことだった。
どうしても、それ以外の解答は見つからず、僕は明日がこなければいいのにと思った。
夕闇に閉ざされた僕の心は、君にはどんな風に映ったのだろう。
儚くなっていく小さな灯火か。
それともその光はとうに消えうせていたのか。
苛立ちを押さえきれないまま夜はふける。
誰も彼もがこんな気持ちを味わってまた明日へとつなげるのだ。
理解はできる。昔はそんな気持ちも味わったはずだからだ。
けれど、思考回路は中途半端なところで断ち切られたまま。
僕の中で廻るのは、考えたくも無いことばかり。
コンコン、とドアが鳴る。
こんなときに限って君は現れる。
僕は君を構っていられるほど強くないから知らないフリをする。
コンコン、とまたドアが鳴る。
僕の心に響く音。君が奏でるいつもの音。
そっとドアに近づく。
「帰って下さい」
一言告げれば君は居なくなるだろうと思った。
まさか、「開けろ」と泣きつかれるなんて思ってもみなかった。
僕は仕方がなしにドアを開けた。
そこには泣き出しそうな君が立っていた。
僕の方が泣きたいくらいだ。
けれど、このどうしようもない苛立ちを君にぶつけるほど、
僕は子供ではなかったし、
そこまで醜い部分を晒すようなことは、君にはしたくなかったのだ。
「どうしました?眠れないんですか?」
僕は優しく尋ねた。自分の声が震えていることに気付いた。
僕はもう限界だった。君の前で立っているだけでやっとだった。
この、どうにもならない現実を受け止めるにはもっと時間が必要だった。
君は何も云わずに僕を抱きしめた。
先ほどまで泣き出しそうだった顔は、ぎゅっと結ばれた唇の奥に消えていた。
ただ、ただ抱きしめた。縋りつくようでもあり、慰めるようでもあった。
僕はどうしていいのかわからなかった。
きっと僕も酷く混乱していて、周りの状況についていけなくて、
それでも前を見なくてはいけないという教えに従って、
この狭くて暗い道をひたすら走って来たのだから。
「お前と離れたくない」
口付けは甘く、そして酷く強引だった。
勢いだけに身を任せて、熱を持った君を受け入れる。
何度も囁かれる愛の言葉と、真摯な目線に酔いしれる。
溺れてしまえ。今だけの君との逢瀬に没頭する。
何も考えたくないんだ。何もかも忘れるほどにひたすら君を求める。
幸せになりたい。
僕らの願いはただそれだけだったはずなのに。
こんなちっぽけな願いでさえも神様は聞き届けてくれないのか。
それでもいい。
僕が君を深く愛していた事実は、君だけが知っていればいいこと。
二人で歩いた道は暗くとも、それでも輝いていたことを忘れなければ。
きっと僕らは。
朝日を浴びる前に早く。
僕はにび色に光るナイフに目をやった。
現実がどうしても僕らを離れ離れにするなら、
いっそのこと二人で絶えてしまえばいい。
それが問題の解決に何らなっていなくても構わない。
僕はそれが正しいと、そう思い込んでしまったのだ。
だから、君に突き刺したナイフから血が溢れたときも、
君が僕の名前を呼んだときも怖くなんてなかったのだ。
大丈夫。僕もすぐに行きます。
そういって、ナイフは僕のイレモノを破壊した。
僕は全てのことがうまく行って上機嫌だった。
これで何の憂いもなく君を愛してゆけるのだから。
病院で目を覚ましたとき、僕は自分だけが死ねなかったのだと思った。
無意識のうちに自分を破壊する手がゆるめられたのだと。
だから隣で寝ている彼のことなどお構いなしに泣き崩れたのだ。
死にたい。死にたい。彼の居ない世界でなど生きたくない。
今から思えば幼稚な考えだった。
「死」でもって解決する問題などないのだと、どうしてわからなかったのだろう。
それほど追い詰められていたとでもいうべきか。
そして、無理心中まで図った僕らは、どうしようもない世界で未だに生きている。
決して許されない恋だった。決して祝福されない思いだった。
けれど、全てを捨てた二人が見ている景色は偽りの無い現実の姿だ。
「あのとき、二人でなら死んでもいいと思った」
君はポツリと呟いた。
病院の隣のベッドから聞こえてくる僕の声に気付いたのだろう。
今まで聞いたことのないような僕の叫びを聞いて彼は微笑んだという。
「あんなに愛されてるとは思わなかった」
ただひたすらに泣き叫ぶ僕の名前を呼ぶ力強い声。
聞きなれた君の声に僕は言葉をなくした。
「あか、ざわ?」
やっと出てきた言葉は君の名前。
何度も何度も呼んだ、僕が愛した君の名前。
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僕らは今旅をしている。今までの全てのしがらみから解放されるように。
もう彼との未来のことで恐怖に震えることも無い。
重圧に耐え切れず、闇に沈むこともない。
大切なものを捨ててしまったことを後悔することよりも、
彼と共に育てていく喜びを知ってしまったから。
「遠くにきてしまいましたね」
「まぁ、なるようになるだろ」
「そうですね。どうしようもならなくなったらまた旅にでも出ましょうか」
「次は暖かい国がいいな」
「寒い国でもいいですよ」
君がいるならどこだって構わない。
そう繋げようとした言葉は、突然の口付けによって阻まれた。
「お前がいればそれでいい」
そういって君は僕を抱きしめたから、僕は酷く安心したのだった。
答えなど何処にでも転がっていることに気付いたら、
全てはただ君に繋がっているのだと思えるようになった。
君をあの時失わなくてよかったと僕は今でも思っている。
だけど、あの時二人で絶えてしまってもよかったなとほんの少しだけ思っている。
君を愛したことに嘘なんて無くて。
君とならどんな場所にだって落ちていける。
「ままならないこと」はいつだって僕らの行く道を阻むし、
それをどうにか乗り越えなくてはならない。
いつかそのことが笑い話として話せるくらいに遠くまで。
行き着く先は見えない。月明かりすら見当たらない。
孤独で、独りよがりで、残酷なこと。
だけど、傍らに君が居る。
そのことに気付くために僕はうまれてきたのかもしれない。
2006/1/18 FDのデータが全て消えた最悪な夜に。
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